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赤木一徳さん

松山市興居島在住。引越しを繰り返し14カ所目にして最長の滞在。主に外国人旅行客のしまなみサイクリングのアテンドなどを行っている。

―ひめラーになったきっかけを教えてください。

赤木兵庫県神戸市で生まれ、大阪・東京・名古屋・京都など仕事の都合で住まいを転々としていましたが、都会があまり自分に合わないな、という気持ちもあり、地方への移住を考えていました。そんな時、縁あって松山の高浜港からフェリーで15分の興居島に移住することになり、もう7年半になりました。愛媛に来てみて、とても住みやすい所なので若い人が都会に出ていくということについて「なぜ?」という気持ちが当初はありましたが、数年住んでみて、理解できるところもあったんです。それは東京・大阪に比べてライブや芸術鑑賞、クリエイティブやデザインの分野に触れる機会が少ない、ということ。今はインターネットがあるので情報を得ることはできても、生のものに触れられる機会がもっとあればいいな、という思いがあり、ひめラーの募集を見て、もしかして自分に何かできることがあるかもしれないと考えたからです。

―新しいスキルや知識、学びになったと思うことはありますか?

赤木アートを介して人のつながりをつくる、というのはすごくいい勉強になりました。こういうことはなかなか学校では学べないことなので、自分のためになっています。地方が閉鎖的だと言われることもあると思うのですが、そこからもう一皮剥けると、若い人がその場所に居着くことが増えるのではと思うんです。アートがそこに介在すると、役に立つこともあるんじゃないかと。今回、ひめラーになって大学生の子たちと一緒に研修を受けることもありますが、若い感性に触れて私自身も若くなっていきたいし、若い方たちも経験のある人たちの話に耳を傾けてもらうと学びになり、相乗効果があっていいんじゃないかと思います。

―もともと、文化芸術に興味はあったのですか?

赤木百貨店等で文化催事などの運営をしていたということもあり、仕事にも関係していました。愛媛の若者が都会に出たいという気持ちも、もちろん理解できるのですが、この場所の魅力を発信していくことができれば人口流出も減るだろうし、県外から愛媛に移住したり、観光に来たりする機会も増えるんじゃないかと思うんです。

―ひめラーの活動を1年間してみて、どうでしたか?

赤木試行錯誤の1年でした。今まで自分に足りていなかったものを補完するような勉強をさせてもらっています。まずはコミュニケーションをつくること。ここが第一歩だと思っています。関西人なのでズケズケ入っていくことは割と得意なのですが、順序を踏むことも大事だと学びました(笑)。また、プロジェクトマネジメントのスキルの勉強ができ、アートの専門知識も深まりました。

―今後ひめラーの活動を通してやってみたいことはありますか?

赤木愛媛県全体のパブリックアートを巡れるような仕組みをつくれたらいいなと思います。それが愛媛に足を運んでもらうきっかけになったら。地域の魅力を発掘し、発信することで、地域経済の活性化に貢献することができればと思います。

―これからひめラーを目指す方へメッセージを。

赤木まずは気軽に受けてもらって、少しでもアートやクリエイティブについて触れてもらうと、人生のプラスになっていくと思います。試しに申し込んでみてください。